作曲家としての提供曲
 さてここらで、作曲家としての織田さんの数え切れないくらいの提供作品の中から、私が気に入っているものを年代順にあげていきましょう。(資料として正確なものが知りたい方は公式HPでお調べください)なお、相川七瀬については別のところで書きますのでここでは省略します。

 まずは1981年。これはソロデビューの2年前。
 1 Gonna Take You Higher(北島健二)・・・これはギタリストでもあり織田さんの長年の盟友でもある北島健二のソロアルバム「反逆のギター戦士」のB面1曲目ですね。しかものっけからタイトルに逆らってますが、これは作曲家としてではなく、作詞家としての提供曲(作曲は北島健二)です。そして織田さんが歌っています(ギタリストのソロアルバムなのですが、けっこう織田さんのボーカルが聴けます)。このアルバムでは、2曲作曲していますが、私にはこの曲のインパクトが忘れられない。そしてこの曲を聴くとVOWWOWの人見元基を思い出します。それくらいにハードロックしてますよ、この曲の織田さんは。

 続いて少し飛びますが1984年。セカンドアルバムを出した年ですね。
 2 Reach Out(彩恵津子)・・・もう今では知らない人も多いのかなあ。声質はちょっと杏里に似ていましたね。特にヒット曲もないまま年月が過ぎてしまいましたが。サビのメロディがいかにも織田さんって感じで好きです。隠れた名曲?FM東京での織田さんのスタジオライブに彩さんがゲストとしてコーラス参加したこともあるんですよ。そのときのテープ持ってますから、間違いないです。実は彩さんのライブに織田さんがコーラスで参加したこともあるらしい。そっちは残念ながら聞き逃しましたが。作詞はちあき哲也。

 3 BURNING LOVE(杉本誘里)・・・この人は「一色ゆかり」という名前でデビューした後(三原順子的な売り方だったらしい)、名前を変えて、メタル系の女性ボーカリストとして再デビューしています。そのファーストアルバムのプロデューサーが織田さんでした。全10曲中4曲を織田さんが作曲していて、その中で一番好きなのがこの曲。サビでの織田さんとのかけあいがなかなかいいのです。というよりはこの当時織田さんの声に飢えていまして、この曲のサビでは織田さんの声がソロで聞こえてくる部分があるので、そこが好きでした。でも、アルバムの中で好きな曲はあと2曲あって、タイトル曲の「Dynamyte」とアルバム最後の「Don't You Know」でした。この2曲は現B'zの松本孝弘作曲です。織田さんのシャウトするコーラスも楽しめます。残念なのは、このアルバムがCD化されていないことです。カセットでは一応持っているんですが。作詞は河井拓実。

 1986年。(4枚目のアルバムを出した年)
 4 SAMISHISA'S On My Mind(アン・ルイス)・・・アン・ルイスにも数曲提供していて、これは「遊女」というアルバムに収録されています。「六本木心中」がヒットした後だったかな。この「遊女」というアルバムはなかなかの名作でした。作家陣がうじきつよし(ex子供ばんど・・・今はすっかり俳優になってしまいましたねえ)やマーシー(と言っても田代ではなくアースシェイカーの)など充実してました。作詞は「六本木心中」の湯川れい子。

 5 シーズン・イン・ザ・サン(TUBE)・・・もう紹介する必要もない曲でしょうが、やっぱろこれは外せませんね。作曲家としての出世作ですし。教育実習していた時のことを思い出す曲でもあります。作詞は亜蘭知子。

 6 今夜だけDarling(清水宏次朗)・・・氣志團がらみで話題になった彼ですが、織田さんは彼にいい曲をたくさん書いています。この曲はシングルですね。サビで織田さんがコーラスをつけてますが、2人の声の相性がとてもいいと思います。作詞は松本隆。

 1987年。(5枚目・6枚目のアルバムを出した年)
 7 Down Town Alley(清水宏次朗)・・・これもシングル。非常によく出来た曲だと思っています。「SONGS2」を出すとしたら、是非収録して欲しい曲の筆頭であります。私はこの曲あまりに気に入ったため、清水宏次朗のアルバムを買ってしまいました。アルバムプロデュースも織田さんが手がけており、名盤だと思います。織田さんが歌うバージョンを死ぬまでに一度聴いてみたいなあ・・・。これも作詞は松本隆。

 1989年。
 8 Day In Vacation(渚のオールスターズ)・・・オールスターズの3枚目のアルバムの冒頭に収録されている曲。シングルカットもされました。これも全編を織田さんに歌ってみてもらいたいですねえ。サビのメロディが「ビーチタイム」に似ているのはご愛敬?(笑)作詞は亜蘭知子。

 1990年。(9枚目のアルバムを出した年・・・というよりは「ポンポコリン」の年)
 9 虹色の涙(田村英里子)・・・アイドルとしてはまあまあの歌唱力でしょうか。生では聴いた記憶がありませんが。織田さんの個性がしっかり出たメロディで(「風紋」に通ずる部分もあるかな?)、これもご本人に歌って欲しい曲です。T's Press Vol.6の中に「一つのマイクで一緒に歌ったエリコ&テツロウデュエットversionの出来がけっこういける。いや笑える」というコメントがあるのですが、「笑える」というのはいったい・・・?作詞は鈴里風太。

 1991年。(ZARDデビューの年、あ、Mi-keも)
10 Rock Your Fire(西城秀樹)・・・織田さんがプロデュースしたアルバム「Mad Dog」の1曲目。めちゃくちゃカッコイイです。アレンジも織田さんのコーラスも。思わずドラムを叩きたくなる曲(笑)。私このアルバムをレンタル落ちの中古でゲットしました。作詞はパール兄弟のサエキけんぞう。

 1992年。(「いつまでも変わらぬ愛を」ヒットの年)
11 世界中の誰よりきっと(中山美穂&WANDS)・・・もう説明不要でしょうか、この曲は。私が前から疑問に思っているのは、作詞のクレジットが「上杉昇&中山美穂」となっているのですが、いったい中山美穂はどの部分を書いたのか、ということ。全体の何パーセントくらいが彼女の担当なのか?

 1993年。(作曲家としての大ブレイクの年。「SONGS」を出した年)
12 咲き誇れ愛しさよ(Wink)・・・実は「SONGS」が出るまで、この曲が織田さんの曲だとうかつにも気付いていませんでした。今となっては「SONGS」の中で一番気に入っている曲だったりします。作詞は大黒摩季。

13 すれ違いの純情(T−BOLAN)・・・織田さんがT-BOLANに書いた曲の中ではこれが一番好きですね。できればこれを「SONGS」に入れて欲しかった・・・。作詞は森友嵐士。

14 声にならないほどに愛しい(WANDS)・・・最初に世に出たのはMANISHのバージョンなんですが・・・。やっぱり声としては上杉の方が数十倍好きなので、こっちになりますね。MANISHのシングルのカラオケバージョンには上杉のコーラスが入ってるので、本編よりもそっちを熱心に聴いた記憶があります。当然作詞は上杉昇。

 1994年。(君の笑顔を守りたい」をリリースした年)
15 思いきり笑って(DEEN)・・・DEENのファーストアルバムの収録曲。たしかカメラのCMソングにも使われていたはず。DEENの曲ではこれが一番好きです。カラオケでもよく歌いました。「このまま・・・」もよく歌いましたが。作詞は川島だりあ。

 1995年。(相川七瀬デビューの年)
16 碧いうさぎ(酒井法子)・・・名曲ですね。きっと「SONGS2」が世に出ることがあったなら、間違いなくこれは収録されるはず。織田さん本人もかなり気に入っているみたいですし。NHKのポップジャムでのりピーと共演したこともありましたね。作詞は牧穂エミ。←この人のアルバムでもセルフカバーしてまして、そっちもなかなかです。

17 ぜったいに誰も(ZYYG)・・・ZYYGにはデビュー曲も書いていますが、私は断然こっちを支持します。スラムダンクのテーマ曲にも使われたんでしたっけ。作詞は高山征輝。

18 淋しがりやふたりぼっち(中原薫)・・・これも隠れた名曲の一つかと思うのですが。まったく話題にもならなかった曲でしたが、私は好きです。学生時代好きだった「つちやかおり」のイメージを連想させる曲でもあります。作詞は中原薫本人。

19 突然(FIELD OF VIEW)・・・ZARDがセルフカバーしているバージョンもけっこう好きですが、やはり本家の方がいいかな。織田さんもライブで披露したことありますね。作詞は坂井泉水。

20 あの夏が聴こえてくる(MAGIC)・・・これも織田さん自身が歌ってもまったく違和感のない曲でしょう。コーラスで織田さんの声が聞こえてくるのがいい感じ。作詞は小田佳奈子。

1998年。
21 息もできない(ZARD)・・・ZARDに書いた曲の中ではわりと知名度が低いのでしょうが、私は好きです。「負けないで」や「揺れる想い」も好きなんですがね。一時期聴き過ぎたというのもありまして・・・。この曲は私が担任した学年の卒業式の入場のBGMに使ったことがあります。

2000年。
22 Baby Love(知念里奈)・・・思ったほどヒットはしませんでしたねえ。いい曲だと思うんですが。確か、知念の次のシングルも織田さんの曲で、という話があったように思うのですが、出てみたらまったく関係ない曲でしたねえ。あれはなんだったのだろう?作詞は中沢晶・織田哲郎・知念里奈となっております。

23 解放区(島谷ひとみ)・・・この人は最初「演歌」でデビューして、ポップスでの再デビューみたいな形での曲がこれだったんですが、あまり話題にはなりませんでしたね。この次に出した「パピヨン」はけっこう売れましたが。そして「亜麻色の・・・」で大ブレイク。でも私はこの曲が一番好きです。

プロデュースしたアーティスト
 上の項目であらかた触れてしまっている気もしますが、一応まとめておきましょう。

 ブラックキャッツ・杉本誘里・亜蘭知子・チューブ・清水宏次朗・西城秀樹・Hollywood Motors・MAGIC・BA-JI・相川七瀬・トランスフォーマー・カレイドスコープ・・・私の知っているところではこんなところでしょうか。何かもう一人いた気がする(たしかキングレコードで・・・)んだけど、思い出せません。

 ここでは、Hollywood Motorsトランスフォーマーに触れておきます。

 Hollywood Motorsはギター&ボーカルの本郷信とドラムスの井上朗の2人組のユニットでした。ギターとドラムの組み合わせっていうのもなかなかレアなパターンですな。1年間に2枚のアルバムをリリースしたと思ったら、いつのまにか解散していた・・・。織田さんはプロデュースしてますけど、楽曲の提供はしていません。ほとんどの曲は本郷さんが書いています。本郷さんって、けっこう前から織田さんのバックでギター弾いたりしてませんかね?Mステで「朝がくるまで」歌ったときのバックにいたような・・・。前から疑問だったのですが、セカンドアルバムのタイトルが「キリンライス」っていうのはいったいどういう意味なんですかね?一応2枚ともアルバム持っていますが、それほど聴きこんでいません。織田さんの書いた曲も歌ってみて欲しかったかな。

 Hollywood Motorsがデビューした4年後(1999年)にはトランスフォーマーがメジャーデビューしています。前述のHollywood Motorsのボーカルだった本郷信が他の二人をスカウトするような形で結成した3人編成のバンドです。ボーカルとギターとベース(石川俊克)という組み合わせなのでバンドとしてはGLAYのようなドラムレスの形態ですね。ライブのサポートをしてくれているドラマーは乙部さんという人で、デビュー以来ずっとサポートしてくれています。第4のメンバーと言ってもいいくらいですね。「Rock beat」という着メロサイトのトランスフォーマー情報には(←ここはトランスフォーマーの着メロをたくさん作ってくれている奇特なサイトなのです)、"1997〜1998年、本郷がバンドを作るためにライブハウスへメンバーを探しに通っていた時に、強い眼光をしたそして声に魅力のあるボーカル桐嶋を見つけ、すぐに声をかけて飲みにいったのが、出逢いのきっかけ。意気投合しすぐに曲作りを開始。その後あるライブハウスでベーシスト石川と出逢いバンド活動を開始する。1999年2月インディーズミニアルバム「赤い花」発売。都内近郊にて30本のライブを行う。5月1st maxiシングル「赤い花」ソニーミュージックよりメジャーデビュー。ここから4作品の毎月シングルリリースを開始する・・・(以下省略)"ということが書かれています。ボーカル&ギターの桐嶋直志の声は確かに独特の存在感があって、私はこの声に惚れました。曲作りは桐嶋と本郷とが中心になっていますが、私は桐嶋の作る曲に魅力を感じます。彼らについては、このトピックで語りつくせぬほどネタがありますので、ここでは簡潔に述べるにとどめておきます。

 実は私、トランスフォーマーのファンクラブにも入っております。札幌でのライブにも何度も足を運んでおります。もう2年以上北海道ではライブをしてくれてませんが。このバンドの名前の由来は某アニメ番組とはまったく関係なくて、ルー・リードのアルバムに「トランスフォーマー」というのがあるそうで、そこからとったということです。そもそも私がこのバンドを知ったのは織田さんのファンクラブ会報に紹介されていたからで、事務所が織田さんと同じなのかな、とは思っていましたが、シングルのクレジットには特に織田さんの名前はなかった(作曲とかアレンジとか)ので、CD製作には特に関わっていないのかと思っていました。で、12月に発売された彼らのデビューアルバムのクレジットを見ると、"Produced by Tetsuro Oda & THE TRANSFORMER"と書いてあるではないですか!特に会報にはトラフォ(ファンはこう呼ぶ)のレコーディングがどうしたとか今アルバムを作ってるんだとか書いてなかったので、織田さんが彼らのプロデュースをしていたとは知りませんでした!でもまあ、「どうりでこんなにトラフォの曲が気に入ったわけだ」と何かストンと落ちたところがあったのもまた事実です。

 現在ではトランスフォーマーは独立して自分の事務所を作り、ソニーとも契約を解消し、自分たちのレーベルでインディーズとして活動しています。私にとっては、「織田さんがこれまでにプロデュースしたアーティストの中で最も好きなバンド」であり続けることでしょう。
 


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